クメール・ルージュ
カンボジア全土を暗い闇に突き落とした、正に黒歴史そのものと言われる出来事である。

クメール・ルージュは、1975年から1979年にかけてカンボジアで政権を握り、「民主カンプチア」を樹立しました。

この期間に、彼らは急進的な共産主義思想と極端な毛沢東思想に基づき、都市住民を農村部に強制移住させ、知識人、仏教徒、少数民族など、当時のカンボジア人口の約4分の1にあたる150万から200万人を殺害したとされています。

これは「カンボジア大虐殺」として知られ、20世紀最悪の人道に対する罪の一つとされています。
クメール・ルージュの元指導者たちは、カンボジア特別法廷(クメール・ルージュ裁判)で裁かれました。
この裁判は、国連とカンボジア政府の協力のもと、2006年7月3日に開始され、犠牲者への正義の達成とカンボジアにおける法の支配の確立を目指しています。

この事件が、余りにも有名であり、故にカンボジアは恐ろしい国だ。
また、危険な国だという印象を、世界中が未だに持ち続けている。
ヨシヤさんの言う、カンボジアの愛すべき民の道徳心は、この様な悲しみの歴史に育まれている可能性も一部否定できない。
皆、この様な淺ましい虐殺が母国の歴史にある事を恥じ、そして悔いている。
悲しみを知る人は、慈しみを現せる人になるという。

ならば、悲しみを心に刻み付けた人々は、何を現せるようになるのだろうか?
世界中が富を獲る為の競争に、より拍車をかけては奪い合う。
繁栄の名の下、人の心が失われていく現代社会において、此処は希望に満ちた理想郷なのかも知れない。

私達を乗せた飛行機は、とてもスムーズな着地でもって、カンボジア首都、プノンペンへ到着した。

此処はクメールルージュ以降、軍が国を統率していると聞いていたが、空港での入国手続き時に、その様を十分に感じる事ができた。

カウンターに並ぶ様々な年齢の男女。
ズラッと並んで皆んな揃って、軍服、軍服、軍服、軍服、軍服…。
オール軍服、である。
実写映画版ガンダムの撮影現場に居合わせた様な錯覚すらあった。


私は今、1年戦争の最中でジオン軍の捕虜として、此処に居るのかも知れない…、
分かる人にしか分からない表現の数々。
申し訳ない。
そんな私の空想劇を他所に、ヨシヤさんは軍服と交渉して、自分のビジネスビザの更新を、複雑な手続き一切無しに押し通していた。
流石である。
ツーリストはと言えば、カウンターの端から端までを、非効率に行き来させられ、パスポートを見せる、入国税の計算、支払い、調査、全て担当者が何故か別..。
入国に関する手際の悪さは、特筆すべきものがあったが、どこか微笑ましく、軍服に誇らしく光る勲章が、シリアス調からコメディアーンな景色に変わった様にも思えた。
ようやくターミナルを出て、外の空気を吸えた。
ヨシヤさんが、全員で写真を撮ろうと言うので、あら?可愛らしいところもあるのね…なんて思っていたら、
「荷物撮ってください!
アングルに荷物入れて!
そんな綺麗に撮らなくて大丈夫です!」
と、ヨシヤ口調で慌ただしく。
「ん?これって記念撮影じゃないの?」
と、私。
「違いますよww
お迎えの車の運転手に、送って見つけてもらうんですよ!
だって、どんな奴が来るか分かんないないじゃないですか!
変な奴だったら、言葉じゃ伝わんないかも知れない!」
とのこと。
変な奴って…笑笑
ヨシヤ語は大変オモシロいのです。
汝、カンボジア人をこよなく愛し、愛するが故に、激しくディスるのであーる。アーメン。笑笑
以下、この時の勘違い撮影写真w

